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マレーシア出張(KL) [海外雑記]

 ペナン飛行場から再びKL飛行場に戻ったのは同日夜9時半だった。クアラルンプール・セントラル駅.jpgKL飛行場には、取引先の日本人KさんとSさんが待っていてくれた。私達は、彼らの案内で車に乗り途中夕食を取った後、ホテルに向かう事になった。車中KさんとSさんに、『会社から緊急の指示が有り、急遽予定を変更して明日の夜、夜行便で帰国しなければならなくなりました。』と伝えた。KLチャイナタウン.jpgSさんが、『どうしてですか、震災直後に無理して出張してきたのに?』と不思議そうに尋ねて来たので、『会社としては、この様な事態で社員を海外に出張させているのは、震災前に出張した人もいるので、家族のことも気がかりだろうとの配慮もあり、一旦出張中の全社員を帰国させる事にしたようです。』と説明した。 ペトロナス・ツイン・タワー(提供 inrockuptible).jpg

 KLの街は、ペナン以上に変わっていた。この街はもともと中国人の移民者がスズを採掘するために作った街であるが、イギリス支配時代にはスズとゴムで発展し、マレー連合州の首都となった。その後第二次世界大戦では、日本の統治下となった事もあったが、終戦後イギリスから独立しマレーシア連邦が結成されてからもマレーシアの首都となっている。最近は高速道路に加え市内鉄道、モノレールなども出来、緑の中に高層ビルが林立し、マレーシア人、中国人、インド人など多民族が平和的に共存する東南アジア有数の近代的な都市となっている。 KLショッピング モール.jpg

 私達は、ホテルに到着する前に途中遅い夕食を取ることになったが、寄った場所はKさん行きつけの日本料理屋で、生ビールや日本酒を飲みながら刺身や天婦羅を食べた。ただしSさんだけは、運転するのでアルコールは控えていた。私はSさんに、『KLでは、酔っ払い運転の取締りがあるのですか?』と尋ねると、Sさんが、ブルーモスク.JPG『見たことがありません、やっていても運転者の口臭を嗅ぐだけで、測定までしないようです。たぶん測定器が無いのではと思います。』と答えてくれた。『まあイスラムでは、もともとお酒を飲んではいけないので、取締る必要が無いのかも知れませんね。』と、私は釈然としない理屈付けをして自分でうなずいた。

 ホテルロビー.JPG私達がその日泊まるホテルは、KLの待から1時間ほど離れたところにあり、ゴルフ場を備えた広々としたリゾートホテルだった。私はチェックイン後、Kさんと、Yさんにお礼を云って分かれた。既に時刻は午前0:00時を回っていたが、部屋に入るとすぐPCをインターネットに繋ぎ、気になる震災のニュースをネットワークで探した...


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マレーシア出張(ペナン2) [海外雑記]

 その日は、午前中Bさん、Yさんの会社で打合せ後、キャンティーン.JPG午後は1時間ほど離れた別会社を訪問する事になっていた。Bさんが、『昼食は、途中のキャンティーンでとりましょう。』と提案してきたので、私は、『ええ、そうしましょう。』と賛成した。キャンティーンとは、同じ場所に色々な料理屋(屋台に近い)が並んだローカル食堂で、見た目はけして清潔ではないが、ホテルのレストランなどで食べるより安くてしかも旨い。私たちはキャンティーンに入り、それぞれ好きな料理を注文した。私はきしめんに似た麺を卵と海老、チャー・クイ・ティオの店(提供 inrockuptible).jpg貝や野菜を入れて甘辛く炒めた焼きそば風料理“チャークイティオ”を頼んだ。値段は8RM(約200円)だったが、ホテルで食べれば40R(約1000円)もする。

 食事を済ませた後、ペナン島から北へ40Km走ったスンガイペタニにある会社を訪問し打合せを行なった。しかしここでも、ローカルの人達と話すたびに震災に付いて質問され、私はその説明をすることになった。ただ、やはりここの人達も異口同音に、チャー・クイ・ティオ(提供 inrockuptible).jpg日本人の規律の正しさマナーの良さに驚嘆したと感想を述べてくれ、私は一日本人として嬉しく、且つ誇りを感じるのを覚えた。

 午後4時ごろ、私たちはスンガイペタニの会社を出て、KLに移動すべくペナン空港に向かった。空港に向かう途中、突然日本の上司から緊急の電話が入り、『震災直後のため、出張中の全社員は即出張を取止め帰国して欲しい。』との指示を受け取った。スンガイペタニ.JPG私は了解した旨を伝えた後、折り返し日本に電話して帰国フライトの手配を行なった。その後、これから訪問する予定のKL及びインドネシアにある会社に連絡を取り状況を伝えた。しかしその間も、何のために被災した日本を離れ、無理してマレーシアまで出張して来たのかと云う思いが、私の頭の中を駆け巡っていた...


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マレーシア出張(ペナン) [海外雑記]

 飛行機がKL(クアラルンプール)に到着する直前に、クアラルンプール国際空港.jpgマレーシアへ入国する際の課税品および持込禁止品の注意が機内放送で流れた。この国に赴任していた事がある私は、その放送を何気なく聴いていたが、『マレーシアにはタバコの宣伝が掲載された雑誌類は持ち込み禁止です。』との機内放送が流れた瞬間、私は耳を疑った。銃器類、麻薬類の所持は死刑、モデルガンを持込もうとした日本人が罰金と拘留を科せられた例もある。ポルノ雑誌や女性のヌードが載った雑誌類も厳しく持込みが規制されているマレーシアだが、タバコの広告が載った雑誌が持込み禁止とは驚きである。ペナン島.jpgタバコを吸わない私でも、その理由に首を傾げてしまった。

 KL飛行場に着くと、一緒に出張することになっていた同僚のS君が飛行機を降りたところで待っていた。軽く挨拶した後、私達は何度来ても分かりづらい国内線乗り換え用イミグレに向かった。国内線に乗り換えペナンに着いたのは夜9:10頃だった。飛行場ではペナンに赴任しているBさんが待っていてくれた。ペナンの飛行場は拡張工事中で、いたるところに臨時の衝立が立っており、駐車場も少し離れた場所に移動していた。私達は、飛行場からBさんの車に乗りジョージタウンにあるホテルへ向かった。ホテルに向かう車の中でBさんが、『大変なことになりましたね日本は、』と私に話しかけてきた。ジョージタウンの夜.JPG私は、『ええ、まだ被害の全貌は分かりませんが、おそらく地震と津波でかなりの被災者が出るでしょう。』と答えた。それからホテルに着くまで、私達はBさんに、2日前に起きた震災の話と、私達が見聞きし経験したことを語って聞かせた。

 翌朝、7時半にやはりペナンに赴任しているYさんがホテルにピックアップに来てくれた。ホテルからジョージタウンを抜け、ペナンブリッジへ向かう明け方の道は空いていたが、車窓から見える景色は、ところどころ私が知らないアパートが建ち並び、変わり行くペナンを感じさせた。会社まで向かう途中も、私達は震災の話題で持ちきりになった。ペナンブリッジ.jpgペナン島とペナン半島を繋ぐ全長約12Kmのペナンブリッジが見えてきた頃、Yさんが『この国で日本と同じ地震が来たら大変なことになりますね。』と運転しながらポツリと云った。私は、『ええ、恐らくコムタタワーを始め、ほとんどの高層ビルやアパートが倒れると思います。ペナンブリッジも分かりませんね。』と答えると、『そうですよね、地震が無い国ですから、弱いですよねこの国の建物は』と何度もうなずいた。

 会社に着いてからは、旧知のローカル社員から入れ替わり立ち代り、震災のお悔やみを言われ、それから私達が体験した事を聞かれた。ただ彼らは皆口を揃えて、日本人の秩序正しい行動と規律のよさを褒め称えてくれた...


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マレーシア出張(出国) [海外雑記]

 翌日、私はビルの間から漏れる光で目を覚ませた。翌朝.jpg他の人達も早々に起きだし、帰宅のための交通情報を取りに、再びTVにかじりついた。TVは昨晩の帰宅難民と混雑する駅の状況を放映していた。私は午後1時頃、まだ帰れる目途が立たない数人を残し、TVの情報を頼りに会社を後にした。帰路は駅もホームも人で埋まり、数時間駅構内で待たされた。やっとの思いで詰めるだけ詰め込んだ電車に乗りこみ、何とか家まで帰ることができた。

 家に着くと、まずお風呂を沸かし、冷蔵庫にあった冷凍ピザをレンジで解凍し、食べながら地震のニュースを見た。ニュースは、あっと云う間に町全部を一飲みにする津波と、空港で寝る人達.jpg津波が去った後の瓦礫と化した町を写していた。風呂に入った後、翌日の出張準備をし、私は殆ど眠っていない疲れた体をベットに横たえた。

 日曜日の朝、私は朝早く起床し、軽く朝食を済ませて、成田空港へ向かった。最寄の駅に着くと人影が少ない。地震の影響だろうと改札まで行くと、なんと改札が閉鎖されている。まさかと思ったが、成田空港.JPG改札に貼られた紙には、地震の影響で運転の目途が立っていないと書かれている。早めに出たとは云え、これから迂回したのでは飛行機の出発時刻に間に合わない。そう思った瞬間、私はタクシー乗り場に向かって歩いていた。タクシーは私を乗せ飛行場に向かったが、所々でガソリン給油に並ぶ車の列に遭遇した。タクシーは道を迂回し渋滞を避けつつ、何とか空港へ到着してくれた。

 飛行場は、混雑していった。家に帰宅する足が確保できないのだろう、所々に荷物を抱えて横になっている旅行者がいた。私はチェックインを済ませイミグレに向かった。二つあるイミグレは一つが閉鎖されており、荷物チェックの前では長蛇の列となっていた。成田空港.jpg私は、なかなか進まない列に並び、何とかイミグレを抜け、残りわずかな時間を過ごすためにラウンジに入った。

 搭乗時刻を見計らい、ラウンジを出てゲートに向かったが、ちょうど搭乗が始まったばかりで、私はそのままクアラルンプール行きの飛行機に乗り込んだ。機内は空席が目立ち、出発時刻が過ぎても埋まらない。恐らく出発時刻に間に合わない人達がいるのだろう。機上.JPG最後に慌てて乗ってきた人が席に付くと、飛行機は定刻より遅れて滑走路を離陸した。離陸後、私は機体が上昇するのを感じながら、胸の中で何かほっとする気持ちと、後ろめたい気持ちが錯綜するのを感じた...


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マレーシア出張(震災) [海外雑記]

 その時私は24階のオフィスにいて、炎上.JPG日曜から行くマレーシア、インドネシアの出張資料を作成していた。突然、大きくグラっとビルが揺れ、そのまま続けて大きく、大きく、揺れ続けた。『これは大きいぞ!!』と、誰かが叫ぶ声や『キャ~!!』と云う女性の叫ぶ声が聞こえた。職場防災隊の私は、机に備え付けてあるヘルメットをかぶり、そばの棚において有ったメガホンを掴み、『あわてずに、落ち着いて机の下に潜ってください!!』とフロワーの全員に向かって叫んだ。その間にも、ビルはグラグラと大きく揺れ続け、私は左手で棚を掴みながら体を支え、やっとの思いで立ちながらメガホンで繰り返し指示を出し続けた。

 2分は揺れが続いただろうか、やっと揺れが収まり何人かの人が、机の下から恐る恐る這い出してきた。しかし顔はこわばり、いつまた揺れるのだろうか、と云う不安が表情から読み取れた。暫くすると構内放送があり、地震情報とエレベーターの停止を伝えてきた。私は、職場の被害状況を確認してまわったが、時計.jpg幸い壁に立てかけてあった時計が落下してガラスが破損した程度で、ほとんど被害は無かった。しかしフロアー毎に儲けた防火シャッターが全て降りていたので、それらのドアーが開くことを確認し、職場防災本部に状況報告を行った。

 防火扉を出て、東側の喫煙室に行くと、そこからいつもの東京湾が見える。しかしその日は、空に黒い雲が広がり、遠くで黒煙が上がっているのが見えた。それは、いつか映画で見たような不気味な風景だった。西側で誰かが、『燃えているのが見える、炎が見える!!』と叫んでいるのが聞こえた。西側の窓側に行き、いつも閉めているブラインドを上げると、遥か遠くビルの陰から炎が上がっているのが目視できた。東京湾方向から煙.jpg炎は時々大きくなり、暫くすると小さくなりを繰り返しながら永遠と燃え続けている。あとから臨海工業地帯にあるコスモ石油が地震で炎上し、その後爆発したことをTVのニュースで知った。

 職場は既に仕事をしている人はおらず、一部の人達が携帯電話で家族や知人に安否の確認をしている。しかし、ほとんどの人が繋がらないのが、繰り返しかけていることで分かった。他の人達は、TVにかぶりつき地震のニュースを見ている。TVからは、この地震の大きさと後から襲った津波の断片的な被害状況が刻々と伝わってくる。数時間経過後、構内放送により、帰宅できる者は帰宅しても良いとの指示が社員全員に通達された。その放送をきっかけにバスや電車、あるいは歩いて帰宅できる人が、爆発の炎.jpgあたふたと挨拶して帰っていった。時間が経つにつれ、迂回して帰れる人や、歩いて帰る事を決意した人達が、挨拶も早々に徐々に職場から去っていった。

 私は、TVが放映する津波のニュースを見ていたが、私の周りには、既に会社に泊まる事を決めた人達が数十人残っているだけだった。夜10時を過ぎたころ、地下2階で非常食を配るとの構内放送が聞こえた。私は、残っている人達から数人非常食を運ぶ人を募り、その人達と階段を使い地下2階まで取りに降りた。帰りはそれぞれ数人分の非常食を抱え、もくもくと階段を24階まで上がったが、職場にたどり着いた時はさすがに息が荒くなっているのがわかった。非常食を各人に配った後、会議室の机を同僚と一緒に外に運び出し、残っている数人の女性のための睡眠場所を確保した。その後は同僚と共にTVの前で、刻々と伝わる津波の報道を見ながら、眠れぬ夜を会社で過ごすこととなった...

 


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